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ワイン造りの思想

 私の考えるワイン造りは、造る人の思想や哲学そして風土や文化をワインの中に表現するものだと考えております。それを表現したく、私は独立と言う道を選びました。よって、経営者になりたくてDomaine(ドメーヌ)を始めた訳ではありません。可能な限り粛々とワインを造る農民(ヴィニュロン)でいたいですし、自分の哲学を持つ職人でいたいのです。形やイメージばかりが先行する思想のないワイン造りをするようなことだけは、したくありません。
 今は、どこまで小さな規模で、自分のワイン造りが行えるか模索しています。規模が大きくなればなるほど、思想が詰まったワインは造れなくなると思っているからです。
また、私が思い描くワインは、農民でなければ造れないものだと思っております。醸造家と言う言葉がありますが、ワインにはその言葉は必要ありません。ワインは畑で出来るものだからです。ワインとは何か?テロワールとは何か?見つからない答えを探し続けるヴィニョロンでいたいです。

Domaine Takahikoと言う名前を用いることについて

本来、農場名には「Vinyard」や「農園」と言った解りやすい言葉を用いるべきだと思いますし、日本人であるのになぜ農場名に日本の言葉を使用しないのか?と今でも自問自答を繰り返しています。
しかし、私は「Domaine」と言うフランスの伝統の中で作られた言葉の重さで、自分を縛りたいと思っております。この言葉に隠された本当の意味の重さを背負わないと本物のワインを造る農夫になれない気がするのです。
 また、私の名前であるTakahikoを使用することにあたり、変に思う方もいるかもしれませんが、私の造るワインは会社が作るものではありません。自然を少しでも理解しようとする人間が造るものです。造る人の考えで、テロワールの意味や、ワインの味や香りまでが変わります。ワインと言うものは、自然と自分を表した作品であると思うのです。素晴らしいワインは自我の塊です。ですから私は、畑名に自分の名前をつけました。

農場について

私の農業の思想は、継続可能な農場です。 現代の化学農薬に頼った農法は、おそらく続かないと思っております。また、化学農薬がないと育たない葡萄を栽培して、テロワールなどと言って良いのでしょうか?限りなく自然な栽培が続けられてこそ、テロワールが反映されるものだと私は考えております。多量の化学農薬を散布して栽培し、素晴らしいものが造られたとしても、それは本当の意味でテロワールを反映していると私は考えておりません。しかし、農業と言うものは必ず人間が手を加えるものです。人間が手を加えれば、必ず自然は変わってしまいます。それをしっかり理解していなければなりません。自然とどのように接し、どう向き合い、そして、どこまで手を出すべきか?その答えは今でも見つかっておりませんが、自然を敬い感謝しする気持ちは、絶対に忘れるべきでないと思います。もしからしたら、どうしても化学農薬に頼らなければ栽培できない状態になったときは、その品種はその地で無くなって行くべきなのかもしれません。

ワインについて
私の醸造の考えの基本は昔しに戻ることです。現在の最新の乾燥酵母、最新の除梗破砕機、最新のステンレスタンク、最新のろ過装置、最新の清澄剤などが、職人としての感性を奪い、ワインから哲学やテロワールを奪ったと私は考えております。熟した葡萄が収穫されれば、ワイン造りにおいて小手先は必要ないのです。ワインは畑で造られるものであり、工場で造られるものではありません。ですから、私のワイン造りは、そのまま除梗を行わず、全房で仕込みを行います。ポンプなどを出来る限り使わず、バケツや重力でワインを移動させます。亜硫酸は瓶詰するとき、おまじない程度に添加するだけです。また、基本的に古樽しか使用しません。培養酵母や清澄剤、過材も用いません。ですから、私のワインは僅かに濁っていることがあります。

一方、白ワインについて
自家消費用とご近所様のためのワイン以外は、基本的に白ワインは醸造しません。
ほとんど、機械や亜硫酸、清澄剤を使わない昔ながらの醸造法を用いているため、現代、求められている白ワインの醸造に、私の考えはどうしても、あてはまりません。
しかし、ツヴァイの収量が不足した年は、少し多めに自家消費用ワインを醸造します。